父と、ひとつの決断をしました。

父と、ひとつの決断をしました。

昨日、父と


一つの決断をしました。




腹部大動脈瘤の


手術をするか、しないか。




術前検査では、


肺気腫、間質性肺炎、


膠原病の疑いが見つかり、




全身麻酔には


高いリスクがあることが


分かりました。




呼吸器内科の先生は


手術に慎重な考え。




血管外科の先生は、


動脈瘤が破裂する前に


手術を勧める考え。




どちらの先生も、


父の命を守りたいという思いで


話してくださいました。




医療には、


「正解」が


一つではない場面があります。




昨日は受診を終えたあと、


父が大好きなラーメンを


二人で食べました。




「おいしいな。」




その一言が、


いつもより少しだけ


胸に響きました。




帰宅してからは、


腰を痛がる父の


施術をしました。




施術中から、


父は安心したように


眠っていました。




その寝顔を見ながら、


私は考えていました。




診察室では見せなかったけれど、


父も父なりに、


この先の人生を考えているのだろうと。




父は言いました。




「もういいよ。


    やりたくない。


    もう、俺は80だぞ。」




その言葉を聞いたとき、


私は無理に説得することが


できませんでした。




娘としては、


一日でも長く生きてほしい。




動脈瘤が


破裂するかもしれないという


不安から解放されたい。




そんな気持ちは、今もあります。




でも、その一方で


思ったのです。




父は、


「長く生きること」よりも、


「自分らしく生きること」を


選ぼうとしているのではないか、と。




私は訪問看護師として、


多くの方の最期に


寄り添ってきました。




その中で何度も


感じてきたことがあります。




人は、


ただ命を延ばすためだけに


生きているわけではない。




誰と過ごすのか。




何を食べるのか。




何を楽しみに朝を迎えるのか。




どんな時間を重ねていくのか。




そういう一つひとつが、


その人らしい人生を


つくっているのだと思います。




だから私は今回、


父の選択を


受け入れることにしました。




これは、


「手術をしないこと」が


正しいと言いたいのではありません。




反対に、


「手術をすること」が


間違いだと言いたいわけでもありません。




病気も違えば、


年齢も違う。




家族の思いも、


本人の価値観も違います。




だから、


誰かの答えが、


自分たちの答えになるとは


限らない。




私たち家族は、


たくさん悩んで、


一つの答えを出しました。




そして今日、


雨上がりの庭を眺めながら


思いました。




父の人生にも、


終わりがある。




それは悲しいことではなく、


生きている以上、


誰にも訪れる自然なこと。




だからこそ、


「いつか」ではなく、


「今日」を大切にしたい。




これから父と過ごす一日一日を、


当たり前だと思わずに過ごしたい。




そんな朝でした。




「生きる」とは、


命の長さだけではない。




残された時間を、


どう生きるか。




私はこれからも、


その問いを胸に、


父と向き合っていこうと思います。



----------------------------------------------------------------------

Salonゆう

住所:静岡県浜松市浜名区染地台1丁目43−29 レラハウスⅢ

----------------------------------------------------------------------

NEW

VIEW MORE

CATEGORY

ARCHIVE

TAG