看護師として、
長く医療や介護の現場にいました。
たくさんの病気を見てきました。
治療を受ける人。
手術をする人。
薬を飲みながら生活する人。
病気と付き合いながら、自宅で暮らす人。
そして、人生の最期を迎える人。
今の医療には、
本当に大きな力があります。
昔なら
助からなかった命が
助かる。
病気の原因が分かる。
状態を詳しく調べることができる。
治療する方法がある。
そして、
「この治療をすれば、
こうなる可能性があります」
という選択肢を示してもらえる。
もちろん、
治療にはリスクもあります。
それでも、
「何が起きているのか分かっている」
「それに対する手段がある」
「その手段に大きなリスクがない」
そう分かったときに、
あえて治療を選ばない。
これは、簡単なことではないのだと思います。
人はやっぱり、
「生きたい」
と思うからです。
たとえ80歳であっても。
たとえ90歳であっても。
自分の命を、
自分から手放すということは、
そんなに簡単なことではありません。
だからこそ、
医療は人を
「生かす」ことができる。
でも、
ここで私は、
ずっと考えてきたことがあります。
生かされることと、
生きることは、
同じなのだろうか。
命が続くことは、
とても大切です。
でも、命が続けば、
それだけで
人の苦悩がなくなるわけではありません。
病気が治っても、
身体が動かなくなっても、
長く生きられるようになっても、
その人が抱えている不安や寂しさ、
家族への思い、
これまでの人生への後悔、
これからどう生きるのかという迷い。
そういうものまで、
医療が取り除いてくれるわけではありません。
むしろ、
「命が助かった。
その先をどう生きるのか」
という問いが始まることさえあります。
私は看護師として働いていて、
「治療をする現場」も
もちろん大切でした。
でも、不思議なことに私は、
看取る現場が好きでした。
最期の時間に寄り添うことが好きでした。
何かを治すわけでもない。
何かを劇的に変えるわけでもない。
ただ、その人のそばにいる。
本人の言葉を聞く。
家族の気持ちを聞く。
何を大切にして
生きてきた人なのかを知る。
そして、
「この人にとって、
今何が大切なんだろう」
と考える。
そこには、医療だけでは
答えられないものが
たくさんありました。
人は、
病気になった瞬間に
「患者」になるけれど、
その人の人生そのものが
「病気」になるわけではない。
病気があっても、
その人には
その人の人生がある。
好きなことがあり、
大切な人がいて、
やり残したことがあって、
会いたい人がいて、
そして、
「今日をどう過ごしたいか」
がある。
私は、
そこに寄り添う看護が
好きだったのだと思います。
だから、父のことを考える今も、
「どうしたら長く生きられるか」
だけではなく、
「父は、残された時間を
どう生きたいのか」
ということを考えています。
もちろん、これは
簡単な答えではありません。
正解もありません。
だからこそ、
誰かが
決めてあげることでも
ないのだと思います。
医療には、
命を救う力がある。
その力は、
本当に尊いものです。
だから私は、
医療を否定したいわけではありません。
むしろ、
医療の力を知っているからこそ、
「命を延ばすこと」と
「その人の人生を支えること」は、
別の視点も必要なのではないか
と思うのです。
生きることは、
ただ心臓が動いていることではない。
ただ長く生きることでもない。
今日、誰と話したいのか。
何を食べたいのか。
どこへ行きたいのか。
何を大切にしたいのか。
どんなふうに人と関わりたいのか。
そして、
どんなふうに
最期を迎えたいのか。
そういうことも含めて、
「生きる」
なのだと思います。
私は今、
予防医療という
仕事をしています。
病気になる前に身体を整える。
不調を見過ごさない。
自分の身体の声を聞く。
それももちろん大切です。
でも最近は、
それだけではないような気がしています。
身体を整えることは、
病気を遠ざけるためだけではなく、
自分の人生を、
自分で生きていくためなのではないか。
そう思うようになりました。
だから、
頑張って
健康になる必要もない。
誰かの正解に
合わせて生きる必要もない。
不安がなくなるまで
頑張り続けなくてもいい。
自分の身体と対話しながら、
「私は、どう生きたいんだろう」
と考えていく。
そのために身体を整える。
私は、そんなふうに
健康を捉えていきたいと思っています。
人はいつか必ず死にます。
それは変えられません。
だからこそ、
死を
遠ざけることだけを
考えるのではなく、
死が
いつか来ることを
知った上で、
今日をどう生きるか。
そこを大切にしたい。
看護師として、
たくさんの「生きる」と
「死」に出会ってきたからこそ、
今の私は、
「どうすれば長く生きられるか」
だけではなく、
「どうすれば、
その人が最後まで
その人らしく生きられるか」
を考えていたいのだと思います。
そして、
それは
特別な人だけの
話ではありません。
40代でも、50代でも、60代でも。
まだまだ先のことだと
思っている今から、
自分の身体に気づき、
自分の気持ちに気づき、
自分が本当に
大切にしたいものに
気づいていく。
それもまた、
「生きる準備」
なのかもしれません。
私はこれからも、
身体を入り口にして、
その人が
自分の人生を、
自分の足で歩いていけるように。
そんな仕事をしていきたいと思っています。
「生かされる」のではなく、
「自分は、どう生きたいのか。」
その問いを、
私はこれからも
大切にしていきたいと思います。
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